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悪意のRock'n Roll Swindle 〜The Clash編〜   

カーテンを開けるとあまりの眩しさにしばらく目を閉じて動けなくなった。さっきまで雨が降っていたようで地面が濡れている。曇り空は晴れわたった空より得てして眩しいものだ。雲に乱反射した光が目から侵入してきて、頭いっぱいに広がり、居座る。直射日光は後頭部まで突き抜ける心地よい眩しさだが、曇天のそれは鈍色の鉛玉を頭部にぶち込まれたような質感を伴う。その不快感が嫌いではない。輝かしい何かの起こる前には心だって曇るものだ。最初は楽しみでわくわくしていたものが、その日が近づいてくると急に臆病な自分が顔をのぞかせ、にわかに心が曇ってくる。勿論、その曇りが陽光を凌ぐ眩しさなのか、雨の前兆なのかはコトが終わってみるまでわからない。

中学の終わり、空前のバンドブームが終焉を迎える最後の残り香を掬いとるようにバンドを組んだ。スティーブ・スティーブンス、マイケル・シェンカー、カーク・ハメット、トレイシー・ローズなど、とにかくギタリストの好きだった俺は有無を言わせずギターに就任した。ギブソンのレスポールやフライング・V、フェンダーのストラトキャスターなどロックギターのグローバルスタンダードへの憧れはあったが、中学生にそんなもの買えるはずもなく、結局手にしたのは「FREAKS」という訳の分からないメーカー名を冠したインチキエレキだった。「FERNANDES」のまがい物と思われる。恥ずかしくて仕様のなかった俺はヘッドに記されたメーカー名を黒々と塗りつぶし、事無きをえたかに見えたが、音までは誤魔化しようがなかった。「ブフォブフォ」こもった音で、いくらエフェクターで音色を変えてもこもった音に味付けがされるだけだった。勿論俺のギターヒーローたちは「ブフォブフォ」した音など出さない。だから最悪の気分だったかと言えば、そうでもない。むしろ20世紀少年の「ケンヂ」がはじめてエレキを手にしたときのあの興奮そのままだった。ただ違う点は「ケンヂ」は「ギターを手にすれば無敵」だといったが、俺は「ギターを手放せば」無敵だった。思うように弾けないもどかしさ、練習の煩わしさに簡単に挫折した。そして実際ライブではよく喧嘩に巻き込まれた。当時ライブハウスと言えば暴れたいヤンキーどもの巣窟であった。ギターさえ手放せばいろんな煩わしさから解放された。そしてロックスターへの道を諦めた。

このカーテンの外に広がる曇り空に視覚を奪われながらそんなことを思い出した。ライブの決まった日は嬉しくて眠れなかった。ライブが近づくと不安と緊張で心は曇り、髪は抜け落ち、へそから血が出た。それでもライブは最高だった。下手な演奏で、「ブフォブフォ」した音を吐き出しても、確かにライブは最高だった。目が合ったの合わないのといってボコボコの殴り合いをしても、目が開けていられないほど眩しかった。「大人」達は「バブルがはじけた」と騒いでいたが、俺達には関係なかった。街はアーケードの中まで暗雲とした雲が立ちこめていたが、少なくとも俺には関係なかった。始業式に県会議員だか県教委だかのおっさんが来て、「バルブがはじけました」と言った時、大声で「そら修理せなアカンな!」とつっこんで、教師にボコボコに殴られた。あれは痛かった。

曇り空の放つ眩しさは確かに不快に違いない。この空はどこまでも続いていると聞く。そう思えるときもあれば、ビルや山の端(やまのは)で途切れていると疑うこともある。それでも・・・。「饒舌な秘密」と関わり始めてからふとした瞬間に「あの頃」の情景がよみがえる。パソコンから「The Clash」の「LONDON CALLING」が流れている。ずっとシャッフルで音楽を流していたのだが、耳をすり抜けて部屋の藻屑と消えていたのだろう。耳がこの曲を絡めとったのは、俺がそんな気分だったからだろう。「LONDON CALLING」な気分。弾けたパンクナンバーだがどこか暗い。さしずめ曇り空の眩しさといったところか。「どこか暗い」ブリティッシュロックの大きな特徴だが、陰鬱だったり悲観的だったりする訳ではない。ただ「どこか暗い」のだ。こんな音を好きだと思うとき、俺は日本人だなぁと自覚する。イギリスのロックを聴いて日本人も何もあったもんじゃないけど、そう思うのだから仕方ない。そんな自分を「引き受ける」しかないのだ。まあ、それもそんなに嫌じゃない。
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by wanpa-blog | 2009-02-25 17:08 | 高杉征司

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