カテゴリ:高杉征司( 13 )   

悪意のRock'n Roll Swindle 〜Coldplay編〜   

電車がまた通り過ぎた。視覚で確認した訳ではないが、テレビの音が「ガタンゴトン」という音にかき消されたので、まあ間違いないだろう。時計を見ると14時を少し回ったところだった。この時間だと一時間に上り下り各12本ずつの電車が往ったり来たりしている。時刻表に載っていない貨物列車なんかが走っているかどうかは分からないが、最低でも一時間に24回は「ガタンゴトン」いっているわけだ。テレビは誰に恋人がいるだの、どこそこのシュークリームがとろけるだの、退屈なワイドショーを垂れ流していて、俺は当然見るでもなくザッピングしているのだから、音声が途切れようが差し替えられようがたいした問題ではない。はずだが、実際音声が途切れると、消えた部分を知りたいという欲求にかられ始め、それが一時間に24回のペースで続くのだから、テレビの内容とは別の部分で俺はテレビへの興味を持ち続けることになる。結果的に電車の音が気になり続けるのだ。ザッピングをしていようとスワッピングをしていようと気になるものは気になるのだ。

電車はそうして潜在的に俺の意識に刷り込まれる。好きと嫌いは同義であり、美しいものは同時にとても醜く、逆に「ドブネズミみたいに美しくなりたい」人もいることを思えば、この小豆色の体を震わせ騒音をまき散らして走っている阪急電車が好きでたまらない俺の気持ちにも説明がつく。さしづめこの街と俺をつなぐ架け橋といったところか。窓から見える眼下に広がる景色に電車の姿と音を加えてやると、たちどころにノスタルジックに心にしみ込んでくる。現在進行形なのに郷愁を誘う。いつかこの街を出たときにこの景色を思い出すだろう、という未来の目線からの郷愁なのかもしれない。あるいは目で見た景色が脳で情報として処理される間にすでに「過去」として扱われる超刹那的過去の連続なのかもしれない。ともかくそういう感覚を獲得したときにこの街は「我が街」となる。もちろんこの「街」というものは俺のものでもなければニコラス・ケイジのものでもない。「我が街」とはみんなのものという意味で、俺のものでもありモーガン・フリーマンのものでもある。そこには全能感も支配欲も独占欲もなく、人々の街への愛着があるだけだ。

Coldplayの「Viva La Vida」が無性に聴きたくなった。〜I used to rule the world〜から始まるこの歌は、全能感、独占欲、支配欲に苛まれた思春期を俺に思い出させる。そして未だその呪縛から逃れられない現在の俺に「奮い立て」とばかりにドラマチックに鳴り響く。いままでのColdplayからは考えられない劇的なアレンジで、生と死、希望と絶望、光と闇を叩き付ける。それらはコントラストではなく「同義」として描かれる。死を内包した生をかき鳴らすから説得力がある。これこそが「美しき生命」なのだ。

テレビでは、女の子が踏切で「彼氏はいません。一人もいません。好きなミュージシャンは多すぎて挙げられません。好きなバナナは食べ物で・・・」などと男の子に猛烈にアタックしている。大人になって「女性にも性欲がある」ことを実感として知った時少しショックだった。女性に幻想など抱いていないと自負していたのに、しっかりと抱いていたこと、自分で把握できていない「自分」がいることがショックだったのかもしれない。しかしこういった性欲なんてことを遥かに越えた異性への抑えられない気持ちがストレートに出ている若者をみるのは気持ちがいいなと初めて思った。なぜ人は同窓会でかつての友人とSEXをするのか、なぜ人は電話で「寝てた?」と聞かれたら「いや、起きてたよ。」と嘘をつくのか。なぜ人は「男ってさあ、」と自分の意見を全体化するのか。なぜ人はマンションの隣の部屋の鍵穴に間違って鍵を突っ込み、開かない開かないとがちゃがちゃして通報されるのか。なぜ童貞は「最後にHしたのいつ?」と訊かれると「秘密。」と答えるのだろうか。そんなことを考えるともなく考えながら俺は眠った。電車の音で途切れ途切れの「Viva La Vida」を子守唄に。
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by wanpa-blog | 2009-03-03 18:21 | 高杉征司

悪意のRock'n Roll Swindle 〜The Clash編〜   

カーテンを開けるとあまりの眩しさにしばらく目を閉じて動けなくなった。さっきまで雨が降っていたようで地面が濡れている。曇り空は晴れわたった空より得てして眩しいものだ。雲に乱反射した光が目から侵入してきて、頭いっぱいに広がり、居座る。直射日光は後頭部まで突き抜ける心地よい眩しさだが、曇天のそれは鈍色の鉛玉を頭部にぶち込まれたような質感を伴う。その不快感が嫌いではない。輝かしい何かの起こる前には心だって曇るものだ。最初は楽しみでわくわくしていたものが、その日が近づいてくると急に臆病な自分が顔をのぞかせ、にわかに心が曇ってくる。勿論、その曇りが陽光を凌ぐ眩しさなのか、雨の前兆なのかはコトが終わってみるまでわからない。

中学の終わり、空前のバンドブームが終焉を迎える最後の残り香を掬いとるようにバンドを組んだ。スティーブ・スティーブンス、マイケル・シェンカー、カーク・ハメット、トレイシー・ローズなど、とにかくギタリストの好きだった俺は有無を言わせずギターに就任した。ギブソンのレスポールやフライング・V、フェンダーのストラトキャスターなどロックギターのグローバルスタンダードへの憧れはあったが、中学生にそんなもの買えるはずもなく、結局手にしたのは「FREAKS」という訳の分からないメーカー名を冠したインチキエレキだった。「FERNANDES」のまがい物と思われる。恥ずかしくて仕様のなかった俺はヘッドに記されたメーカー名を黒々と塗りつぶし、事無きをえたかに見えたが、音までは誤魔化しようがなかった。「ブフォブフォ」こもった音で、いくらエフェクターで音色を変えてもこもった音に味付けがされるだけだった。勿論俺のギターヒーローたちは「ブフォブフォ」した音など出さない。だから最悪の気分だったかと言えば、そうでもない。むしろ20世紀少年の「ケンヂ」がはじめてエレキを手にしたときのあの興奮そのままだった。ただ違う点は「ケンヂ」は「ギターを手にすれば無敵」だといったが、俺は「ギターを手放せば」無敵だった。思うように弾けないもどかしさ、練習の煩わしさに簡単に挫折した。そして実際ライブではよく喧嘩に巻き込まれた。当時ライブハウスと言えば暴れたいヤンキーどもの巣窟であった。ギターさえ手放せばいろんな煩わしさから解放された。そしてロックスターへの道を諦めた。

このカーテンの外に広がる曇り空に視覚を奪われながらそんなことを思い出した。ライブの決まった日は嬉しくて眠れなかった。ライブが近づくと不安と緊張で心は曇り、髪は抜け落ち、へそから血が出た。それでもライブは最高だった。下手な演奏で、「ブフォブフォ」した音を吐き出しても、確かにライブは最高だった。目が合ったの合わないのといってボコボコの殴り合いをしても、目が開けていられないほど眩しかった。「大人」達は「バブルがはじけた」と騒いでいたが、俺達には関係なかった。街はアーケードの中まで暗雲とした雲が立ちこめていたが、少なくとも俺には関係なかった。始業式に県会議員だか県教委だかのおっさんが来て、「バルブがはじけました」と言った時、大声で「そら修理せなアカンな!」とつっこんで、教師にボコボコに殴られた。あれは痛かった。

曇り空の放つ眩しさは確かに不快に違いない。この空はどこまでも続いていると聞く。そう思えるときもあれば、ビルや山の端(やまのは)で途切れていると疑うこともある。それでも・・・。「饒舌な秘密」と関わり始めてからふとした瞬間に「あの頃」の情景がよみがえる。パソコンから「The Clash」の「LONDON CALLING」が流れている。ずっとシャッフルで音楽を流していたのだが、耳をすり抜けて部屋の藻屑と消えていたのだろう。耳がこの曲を絡めとったのは、俺がそんな気分だったからだろう。「LONDON CALLING」な気分。弾けたパンクナンバーだがどこか暗い。さしずめ曇り空の眩しさといったところか。「どこか暗い」ブリティッシュロックの大きな特徴だが、陰鬱だったり悲観的だったりする訳ではない。ただ「どこか暗い」のだ。こんな音を好きだと思うとき、俺は日本人だなぁと自覚する。イギリスのロックを聴いて日本人も何もあったもんじゃないけど、そう思うのだから仕方ない。そんな自分を「引き受ける」しかないのだ。まあ、それもそんなに嫌じゃない。
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by wanpa-blog | 2009-02-25 17:08 | 高杉征司

五条楽園外伝〜The Dark Side Of The Moon編〜   

「行きつけのBAR」という言葉。

実にロックンロールな響きが漂う。現実はこれ見よがしの常連客とうるさい学生、一人の世界に浸りすぎているナルシストがはびこり、あまり落ち着かない。それでも、そんな俺でも足繁く通うBARがあった。BARなんてどこも同じ、そんなことはあり得ない。経営方針、スタッフの人間性、通う客の質によってまさに千差万別、踊る万華鏡だ。酒を得意としない俺にはそういった店の有り様こそがプライオリティーとなる。そして自分に合った店というのはほんとうに少ない。BARに何を求めるかはそれぞれだが、俺は「秘密の共有」に重きを置く。実際に秘密を共有する訳ではない。そこで飲むことで秘密の共有感を味わうのだ。隣席で性欲丸出しのコンパなどやられては秘密も共有もあったもんじゃない。自分の性欲は抑えればエネルギーにもなるが、見知らぬ下品な性欲は塩こしょうしたって犬も喰わない。バーテンダーがおしゃべりなのもno goodだ。上品かつ上質なおしゃべり野郎もいなくはないが、基本的にはそのEGOに障てられて、毒気づいて帰ることになる。店の名前も重要だ。「しめさば」なんてBARではやはり秘密は共有できない。

そうやって絞りにしぼって、やっと見つけたBARがなくなった。
刺激を求めて夜な夜な街を徘徊し、満たされぬことに大いに満たされて刹那を貪った25の俺には禿げるほどショックだった。その店に通うことでどこか心のバランスをとっていたことに気づかされた。「空気みたいに愛してる」裕木奈江の歌だが、今は関係ない。とにかく行き場を失った俺は地を這うような咆哮でメタリカの「Until It Sleeps 」を天高く絶唱した。もちろん救急車が来た。自分は正常であることを告げたが「みなさん、そう言うんです。」と乗ることを強要された。逃げるようにそこから逃げ出した。逃げているのだから逃げるようなのは当たり前だと思ったら、笑いが止まらなくなった。まさに狂気の沙汰だった。「狂気」?
そうだ、俺には「ピンクフロイド」があるじゃないか!学生の頃に幾度か行って、気に入っていたBARだ。あそこなら秘密を共有できる。名前も最高にイカしている。イカしているという表現が最高にイカしていないことにも気づかず、一目散に目指した。プログレの帝王「ピンク・フロイド」の名を冠するその店が、俺に新たなる息吹を吹き込んでくれる。

c0144613_2175862.jpgここだ。五条河原町の北東、松原西木屋町を少し上がった雑居ビルの二階、ここが俺の次なるオアシスとなる。ウレションを漏らしながら店の小窓を見上げた。これからはあの窓から階下を見下ろすことになる。
c0144613_2185555.jpgこの細い階段が「stairway to heaven(天国への階段)」となる。若干の違和感を感じながらも、「久しぶりだからさ」と自分に言い聞かせ、ゆっくり階段を上っていった。一段また一段と踏みしめるたびに違和感は膨らんでいく。入り口の前に立ったときには、「この店に入りたくない」とさえ思っていた。なぜだ、あんなにも焦がれた次なるオアシスではないか!?しかしその思いとは裏腹に俺の心臓はZ2(”ゼッツー”言わずと知れたKAWASAKIの名車)のような爆音をあげて口から飛び出してきそうだった。なぜ俺の危険察知アイドリングはこんなにも高まっているのだ。二足歩行も困難になり、四つん這いで情けなく虚空を見上げた時、違和感の謎は解けた。

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「COCOBONGO(ココボンゴ)」

店の名前が変わっている・・・
コンタクトレンズが目から滑り落ちたが、探す気になれなかった。ぼやけた世界をぼんやりと見ながら、「世界はこのようであればいい」と思った。その後のことは覚えていない。


33になった今も時折顔を出している。
名詞にはこだわらなくなった。年とともに角がとれ、少しずついらぬこだわりが無くなっていく。子供が出来たら、滑稽な名前をつけてやろう。
自由になれた気がした25の夜、だった。
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by wanpa-blog | 2009-01-21 02:21 | 高杉征司

五条楽園外伝〜真も偽にして、偽もまた真なり編〜   

違いのわかる男、なりたいかどうかは別として興味はある。
テレビのCMでも、いかにも違いのわかりそうな上品な俳優がダバダバ言いながらコーヒーを飲んでいた。もちろんこれは企業のイメージ戦略であって、こんなものを見て焦がれたわけではない。「再生紙100%」と書かれた再生率5%くらいの紙と同じで、企業のイメージ戦略以外の何者でもないのだから。もちろん「違いのわかる人間がインスタントコーヒーを飲むな」と言っている訳でもなく、坂東のなにがしが違いがわからないと言っている訳でもない。飽くまで「企業のイメージ戦略」として割り切っているだけだ。
俺は窮地に陥ったとき、そうならなくて済んだであろう人格を希求する。違いのわかる男であったなら回避できた災難は数知れずある。ウォシュレットに必要以上に激しく肛門を刺激されることもなかっただろうし、買ったばかりの中古バイクが煙を噴いて雄叫びをあげることもなかっただろう。もちろん「今日から当分イギリスに行く」女と次の日、北野白梅町でばったり出会うことなど絶対になかったはずだ。しかし俺はその手のアクシデントは甘んじて受け入れるつもりだ。楽しんでいると言ってもいいだろう。違いのわかる男になりたい訳ではないのだから。違いのわかる男に興味がある、それだけのことなのだから。

その日、俺はいつものように五条楽園界隈をきりきりと歩き回っていた。そうやって意味もなく闊歩するときは大抵何か心に傷を負っているときで、まあその日何に傷ついていたのかは知る由もないが、概ね女のことであると思われる。その道すがら一軒の店舗に目を留めた。

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似ている、実に似ている。
先日も紹介した「トニーラマ」に瓜二つではないか!?この二つの店の相互関係などは俺の知るところではないが、こういう光景をよく目にするなあとふわっと思った。区別がつかないほど酷似した魚屋、天ぷら屋、お好み焼き屋などが隣り合って営業している光景を。しかしよく考えてみれば缶ジュースも地方のお土産も流行りの楽曲もどのジャンルもまねばかりだ。売れるものには追随者が現れる。基本的にはすっきりしないという印象を持つ。デカビタCと間違えてビンビタCを買ってしまったときはさすがに笑ったが、そもそもオロナミンCという金字塔があることを思い出す時、うまく笑えなくなった。ビンビタCを飲んで、こっちでもいいやと思った時、笑顔は引きつった。贋作はオリジナルを越え得るし、贋作に追随する贋作もねずみ講式に増えていく。「オアシスに似たビートルズってバンドがあったんですね」と後輩に言われたことがある。もはや開いた口が塞がらないところにそうめんを流し込まれた気分だった。消費者にとっては最終的にどっちが先かなんてことは関係なくなるのだ。
そんなことを考えていると何が本当で何が嘘なのか、誰が俺で俺は誰なのかわからなくなってくる。バランスを失った俺は立ち位置を取り戻すべくその店に入ってみた。この不安定な気持ちのままうちに帰れない。そもそも不安定だからお散歩していたのだから。

店内はファンシーショップだった・・・
やたらとピンクが目につく。キャラクターグッズもそこそこ充実していて、ウエスタンブーツの横にはクロックスのサンダルが置いてある。本格派ウエスタンショップ「トニーラマ」とは大きな隔たりが感じられる。荒野の猛々しいイメージなどどこにもない。浪漫などあろうはずもない。素人目にも明らかだ。「こいつはにせものだ」


このまま終わるとこの店の関係者から苦情がきそうなので、ひとつだけほめておく。
この店のエンブレム、


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どっかで見たことがある!!!
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by wanpa-blog | 2009-01-07 02:36 | 高杉征司

閑話休題、再び   

今日も五条楽園外伝はお休みです。

試演会に全精力を注がせてください。

ちなみに12月10日の京都新聞夕刊にワンパの記事が写真付きで載ります。
こそっと見てやってください。

試演会ってすごいですよね。
本番の1ヶ月以上前にとりあえず形にして、お客さんに入場料をいただいて観ていただくんですよ!?そりゃあ本番の完成度も期待できますよね。

皆さんのご意見がこの作品をかたどります。
試演会を観に来て、一緒に「饒舌な秘密」を創りましょう!!!


最後に少しだけプライベートなことを。

今から風呂入って、寝ます。
風呂のついでにヒゲを剃ったってかまわない。



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by wanpa-blog | 2008-12-10 10:10 | 高杉征司

五条楽園外伝〜チアノーゼ on my mind編〜   

「女の肉感が好きだ!」

時折、そんな自分の寝言で目が覚める。サチリアジス(色情症)でもなければ欲求不満でもない。ただ眠りが浅いだけだ。自分の寝言のあまりの声の大きさにすっかり覚醒してしまう。もう一度寝ようと毛布に自分をさらけ出すが、さっきまでのようにうまく毛布とコミュニケーションがとれない。あれほど我が肌のように感じていた寝具が、異物として体を刺激する。隣の部屋の住人の笑い声が聞こえる。俺の寝言を笑われているような気もするし、ただテレビを見て吹き出しただけのような気もする。どっちでもいいやと無関心を気取ると余計に気になってくる。答えを導きだそうと記憶をたどると、笑っていなかったような気もする。怒っていたような気さえし始める。人の感情など推し量れないものだ。極まった感情表現は怒りも喜びも同じに見えるもので、それが壁の向こうの突発的な「声」ならば尚更だ。だから「兎角に人の世は住みにくい」。

こんな夜は足の赴くままに飲みにいく。ロックンローラー気取りだがスコッチもバーボンもお手上げだ。ウィスキーは嗅いだだけで爪がはがれそうになる。もっぱら珈琲に依存する生活だが、こんな夜だけはベルモットをロックでヤることにしている。見た目が「樽で呑んでそう」なだけに「残念な男」と言われて久しい。返す言葉もないが、そんなことを言われる筋合いはもっとない。愛を込めていっているのだと反駁されるが、そんなやつには「愛を取り戻せ」と言ってやりたい。愛とはなあ、愛ってヤツはなあ、・・・知らん。愛とは何だ。その答えを見つけるために生きているような気がした。一秒でそうじゃないと思い直した。そんなことを考えているうちに、ある店の前に立っていた。


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「TARO CAFE」
河原町六条を少し南に下がったところにあるそのカフェは五条楽園の西の入り口を見張っている。俺がこの界隈に棲んでいた頃はこんな店はなかった。当時「アンチ・オシャレカフェ塾 三号生筆頭」であった俺が、あれば言ったかと言われると甚だ疑問だが、いなくなってからできたことに幾分の悔しさを持ったことは否めない。ここでお酒が飲めるかどうかは知らないが、ここでお酒が飲みたいと思った。今の俺はそう思った。アジアンテイストがスコールを連想させる。その雨のイメージが俺の今のウェットな気分にフィットしたに違いない。考えてみれば五条楽園に棲んでいた頃が一番精神をかき乱された。そのときにこの店があったなら、どれだけ救いになったことか!?「携帯電話持ってないの」と言っていた女の携帯電話が鞄の中でブルッッブル震えていたあの夜もあんなに苦しくなかったはずだ。酔いつぶれた女を木屋町に拾いにいく必要もなかったはずだ。涙がとまらなかった。あの時、一番必要なときに出会えなかった悔し涙、そして今、こうして7年の時を経て巡り会えた奇跡に歓喜の涙。運命に弄ばれるように今夜部屋を出て、導かれるようにここに来た。偶然じゃない。俺はここにいる。運命の糸にたぐり寄せられるように店に入っていった。


「大変申し訳ありません。本日は閉店となりました。」


二度とくるかっ!!!!!!!!!!


運命などないことを知った32の冬だった。
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by wanpa-blog | 2008-12-03 02:29 | 高杉征司

閑話休題   

高杉です。

今日は五条楽園外伝はお休みします。
眠すぎるからです。

五条楽園界隈の素敵なお店を紹介するという趣旨で書き始めた「五条楽園外伝」ですが、お店の情報(場所、メニュー、値段など)をほぼ記さず、逆にお店の悪口と取られても仕方のないようなことが書き連ねてあるではありませんか!?
私に反省の色は全くありません。
今後ともあの調子です。
よろしくお願いします。

c0144613_0575049.jpg今日は制作会議終わりで帰宅し、最後の力を振り絞って「高杉風ペペロンチーニアス」(SHOP99の「ペペロンチーノの素」でつくった激旨パスタ)をつくった。
作った以上は食べた。
食べたからには美味しかった。

「空手バカ一代」を読みながら食べると更に美味くなった。
「空手バカ一代」って何?
男の必読書です。

マストだ!!!
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by wanpa-blog | 2008-11-26 23:43 | 高杉征司

五条楽園外伝〜闘いの挽歌編〜   

 朝起きて、いまだ朦朧とする意識の中、淹れたての珈琲を舐める。その熱さと苦みによって少しずつ覚醒する。この一瞬のために生きている、そう思ったこともある。「男のダンディズム」は嫌いではないが、朝の珈琲は勿論それを演出するためのものではない。ポマードでギトギトの頭をコームで撫で付ける、これもダンディには違いないが、真のダンディズムはもっと些細な日常の中に潜んでいる。それを見つけていくことが「悦び」であり、セックスこそが悦楽ではない。俺の舎弟に、王様になるために餃子を食いに王将に行ったりしているヤツがいるが、「急がば回れ」、あながち見当違いでもない様に思う。

 今でこそそんな風にも考えられるが、五条楽園に棲んでいた頃の俺は若いが故に短絡的であった。「王とは何ぞや。」の問いには「武をもって天下に覇を唱えるものなり。」と答えただろう。「男とはなんぞや。」と問われれば「男の子(おのこ)たるもの侍たれ。」それ以外の答えは見つからなかった。日本では武士、ヨーロッパでは騎士、そしてアメリカなら「ガンマン」だ。

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 俺の君臨していたマンションのすぐ裏(六条河原町角)にその店はある。「トニーラマ」、ウエスタン専門店。あまりにも有名なウエスタンのトップブランドだ。アメリカン・ハードロックや西海岸のパンクムーブメントに心酔していた俺が男としてガンマンを選んだのは必然であった。ブリティッシュ・へヴィーメタルも好きだったし、SAMURAIの精神性も捨て難かったが、ファッションとして袴をはいてうろうろも出来ないし、中世の騎士の鎧などプライベートでは言語道断である。その点、ウエスタンスタイルはワンポイントでファッションとして成立するので、正直都合が良かった。いつもの洋服、そこにウエスタンブーツやバックル、テンガロンハット、果てはシガレットケースまで、どれか一つを身につけるだけでいいのだから。逆に全てを身につけるとやばいことは萩原流行が証明してくれているので触れる必要はないだろう。とにかく銃以外なら何でもいいのだ。銃は心に隠し持つ。これが現代流のガンマンだ。

 「写真はNGだから!」店内に潜入した俺はいきなり出端をくじかれた。写真が撮れないことよりも、ガンマンの世界の心の狭さがショックだった。雄大な荒野を、夕日を背にゆっくり歩いていく。その風景の中に狭き心は存在しないはずだ。聞き間違いだろうともう一度聞いてみた。「勿論、写真撮っていいですよね?」今度は無言で「こいつ、どこの店のヤツだろう?」という顔をされた。聞き間違いではない!レジに立っているこのガンマンは明らかに心が狭い。心が折れそうになった。しかしガンマンの世界には弱き心も存在しない。老獪なガンマンに「臆病でいい。だがその自分の臆病さを認め、強き心で立ち向かえ。」と頭を撫でられた気がした。必要なのはブレイブ・ハート。勇気を出してレジに立つガンマンに立ち向かった。
「これください!」

「12万8千円です。」

「・・・。」

まじでか!?
こんなベルトのバックルひとつがそんなにするのか!?
よく見ると確かに精巧な造りの価値ある一品である。クロムハーツみたいなものか。なるほど写真を撮ってはいけないのも頷ける。そう納得した瞬間、恥ずかしくて顔から火が出た。さっきまで写真撮らせろと口から怪気炎を吐いていた男の末路である。恥ずかしくて恥ずかしくて一目散に逃げ出した。敵に背を向けたのだ。だって仕方がない。そんなもの買えるはずがないのだから。

 「臆病でいい。だがその自分の臆病さを認め、強き心で立ち向かえ。」そう言って俺の頭を撫でてくれた男に謝らなければならない。「すいません。俺、臆病さに勝つことができませんでした。」すると、その頭に羽を幾本も刺し、目を塞ぐほどブ厚い皺に顔を覆われた半裸の老人は狼を撫でながら、俺に、・・・

えっ・・・

この人、


ガンマンじゃない・・・

むしろガンマンに虐げられたネイティブ・アメリカンではないか!?
混乱していた俺は西部のイメージがごっちゃになっていたのだ。
もはや何を信じればいいのか分からなくなってしまった。ただひとつ言えることは、それ以来俺はガンマンよりもネイティブ・アメリカンが好きになったということだ。ビリー・ザ・キッド糞喰らえだ。判官びいきと言われようが俺はネイティブ・アメリカンを支持する。例えファッション的には模倣できなくてもだ。

 日本人であることを思い知らされた23の春だった。

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by wanpa-blog | 2008-11-19 22:06 | 高杉征司

五条楽園外伝〜Don't believe the truth後編〜   

 「近年はカード塚が創られ、あらゆるカードを供養するという現代的な祭典も行われている」

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カード塚・・・・・

 嗚呼、藁にもすがる思いではあったが、カード塚にすがる気など毛頭なかった。
とりわけカードに祟られたなんて話は聞いたことが無い。祟りでなければ愛情か!?確かにペットを火葬し、お墓に入れるという人は増えてきた。昔では考えられなかった行為だ。俺だってその気持ちは分かる。小劇場界の犬公方とは俺のことだ!劇団内には勿論、生類憐みの令を布いている。御犬様なら目に入れても、ケツの穴にぶっこんでも痛くも何ともない。むしろ少し気持ちいいくらいだ。そう、ペットは家族なのだから。しかしカードに「お父さん!」なんて言えない。「弟ができたぞ。可愛がってやれよ。」とVISAかなんか差し出されても、ノリツッコミくらいしか対応する術はない。これはクレジット的なカードに限った話ではない。それが例え遊戯王的なカードであったとしてもだ。俺が子供の時にもビックリマンだのキン肉マン消しゴムだのカードダスだのと色々な紙切れやゴムの塊が流行ったが、最後は爆竹で吹っ飛ばしたものだ。いうなればそれが俺たち流の供養だった。「レアものは高く売れる」熱心に遊んだが、それ以上の愛情は持ち得なかった。

 なんだか考えているうちに俺こそが最低の人間のように思えてきた。俺は負けるのか、カード塚に。女になじられ、カード塚に踏みにじられ、自分自身の過去に蔑まれ、目に映る景色は全て青色に見えた。青いフィルターを通してみる世界は何もかもが絶望に縁取られていた。空は低く、山は凍え、大地は枯れていた。群青色の世界。ならばこの碧き眼にカード塚が何色に映るか確かめてやる。最後の力を振り絞り、立たぬ足にむち打ち、子供をなくした鬼子母神が如く阿修羅の形相で境内に踏み込んだ。もう失うものなど何もない。勝てるとは思っていない。だが負けたまま終わりたくはない。眼光鋭く、ぶつかるものは人でもモノでもちぎっては投げ、投げてはちぎり、隈無く境内を徘徊した。

 なかった・・・・・。
カード塚などどこにもなかった。勝負を挑むどころか、相手の実体を掴むことすらままならぬとは。死ぬ気で飛び出した俺という零戦は、敵の船を見つけることも出来ずに今、ぽっかりと海の上に浮かんでいる。嗚呼、死にたい。死ぬより悲惨な結果にもはやぴくりとも動けなかった。c0144613_2324473.jpg突っ伏した俺の目の前に寒々とした灰が横たわっていた。燃え尽きた俺そのものだった。「仲間だな。」と灰に手を伸ばそうとした刹那、嫌な感じに襲われた。まさか、・・まさかこれがカード塚じゃないよな。子供の焚き火よりも貧相なその中華鍋はカード塚じゃないよな。ふふ・・・まさかな。

 なんとか観光客に抱き起こされ、敷地の外に出た俺は「負けたよ。」と神社を振り返った。神社の上はマンションだった。ええっ!!! 正確に言えば、マンションの一階が神社だった。桓武天皇が創建したんじゃないのかよ。清和天皇や後鳥羽天皇が皇女誕生の際に産湯に使った湧き水がしみ出しているんじゃないのかよ。まさかこのマンションも桓武天皇が建てたのか!?いやきっとそうだ。そうに違いない。そうでなくては困る。俺は完全に負けたのだ。相手は強大でなくてはならない。でないと俺は、俺は・・・。


 神は存在することを知った25の夏だった。
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by wanpa-blog | 2008-11-12 02:34 | 高杉征司

五条楽園外伝〜Don't believe the truth前編〜   

 五条楽園の真ん中に棲んでいた頃はよく一人で散歩をしたものだ。バイクで琵琶湖や清滝、嵐山など水辺に行くことも多かったが、歩いて楽園周辺を散策し、鴨川で瞑想に耽るというのも一つお決まりのコースだった。

 この頃はマイナスイオン(勿論、死語)の多いところに吸い寄せられるように赴いたものだ。若気の至りで何かと気ぜわしかったからだろう。特に心の乱れているときにはバイクに乗ると危ないので、徒歩での散策が多かったように思う。今にして思えばそのくらいの冷静さは保っていたのだなと感心もするが、当時はもやもやや怒りにまかせて気もそぞろだったので、危険を想定してあるべき選択をしたという記憶は無い。
 
 俺が大きく心を乱すのは概ね女性が絡んだときだった。これを「若気の至り」と切って捨てるほど目覚ましい成長を遂げているわけではないので、今に及んでも頭が痛い。様々な罵詈雑言を浴びせかけられるわけだが、今なら相手にそう言わせた自分の在り様を自問しようと努力だけはするので、幾分安定感は増す。「これ以上一緒にいたら女として駄目になりそう」、「一度だって真面目に答えてくれたことがある?」、「犬と私、どっちが好きなの?」、「笑ったら土建屋よしゆきみたいなのよ」、「この俗物!!!」、「死ね!・・・っていうか、生きろ!!」こんなことを張りつめた空気を演出して言われるのだからたまったもんじゃない。人はこういう経験を乗り越えて成長していくのだろうが、「土建屋よしゆきに似てる」と責められて、どう成長すればいいのか皆目見当がつかない。

 そんなことを考えながら、ふらふらやり場の無い気持ちを持て余しながら歩いていると、「女人守護 市比賣(いちひめ)神社」に迷い込んでいた。大通りから二、三歩踏み込んだところにいきなり開ける秘境に目を疑った。看板だけはずっと見ていたが、こんなところにこんなかたちで存在していたとは・・。女難(自業自得)に見舞われていた俺は藁にもすがる思いで拝んでいた。もちろん女難の相には何の効き目も無い。むしろこの場合、敵である女性を守護する神であり、劉備(りゅうび)が「憎っくき司馬懿(しばい)めぇ〜。」と言いながら曹操(そうそう)を拝むようなものである。お門違い甚だしい。しかし、こんな俺にも何かご利益はないものかと、神社の由来や効能(温泉!!!)を記した立て札を舐めるようにみていたら、とんでもないことに気づいてしまった。鎖国の時代にペリーが黒船に乗って颯爽と現れて近代化が進んだ日本。この神社でも、何が黒船になったかは分からないが、確実に近代化の波が押し寄せていた。

(続く)
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by wanpa-blog | 2008-11-05 23:03 | 高杉征司